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医師になった


自治医大卒業後9年間は地域医療に従事、内科医として、そして消化器内科医として。卒後10年目からは縁あって磐田市立総合病院で消化器内科医として12年間、消化器疾患や救急医療に力を注いだ。その間医師数は1.5倍くらいに増えたが患者数も増え続けかなり忙しい病院・診療科だった。徐々に歳下の医師も増え指導する機会も増えた。個別に聞かれたら教えるのは好きだが、講義をするのは苦手。喋るのは得意だがスライド作成のセンスが皆無で講義や学会発表はしたくない。センスあるPowerPointのスライドを見ると尊敬する・そして嫌になる、この気持ちわかる人いるはず。

他の人は知らないが、医学部に入るため・医学部の6年間よりも医師になってからの最初の数年間が人生で一番努力した。これは間違いない。研修医の2年間、メチャクチャ忙しかった。今はほとんどないのだろうが理不尽に怒られたことも頻繁にあった(勝手に理不尽と思っているだけかもしれないが、ご指導いただいた先生方本当にありがとうございました)。研修医生活は二度とやりたくない(笑)でも楽しかった。あれがあったから成長できた。でももう一回は無理。

研修医時代、暇さえあれば救急外来と内視鏡室に行っていた。内科疾患はもちろんだがそれとは別で小児科と外傷の勉強のために、外科系の当直にも志願して参加させてもらっていた。なぜ消化器内科医が?と思うかもしれない。消化器内科医になることは決めていたが自治医大の卒業生は授業料免除の代わりに9年間の地域医療への貢献という義務があった。田舎で困らないようにするため、自分も自分に診てもらう患者も。そのころだったか1つの目標を立てた。“何でも診られる消化器内科医になる”今でも忘れていない、努力はしているつもり、だが達成はできていない。努力が足りないのか、目標の設定を間違えたのか、まあ両方だろう。この人みたいな“何でも診られる消化器内科医”になりたいという医師にはまだ出会っていない。それなら自分がなってしまえばよいと思ったがなかなかに難しい。だからいないんだろうな(笑)。まだまだ先は長い、頑張ろう。

ラーメン屋なら、満足のいく完成形のラーメンが出来ていないのに店をオープンしたのかと言われそうだが間違えないでほしい。ラーメンはほぼ完成しているが、当店(当院?)は和食も洋食もラーメンも提供できる、家族みんながなんでも美味しく食べられる場末の定食屋を目指している。ただ高級フレンチを提供するつもりはない。それを望む方は大学病院やがんセンターに行けばよい。なかなか頻繁に軽い気持ちで行けはしない、でも特別な時には必要な確かな存在。さすがにシェフ(医師)一人でそこまでこなせない。当店(当院?)は軽い気持ちで気軽に立ち寄れる安くてなんでも美味しい、そんな存在でありたい。利用者が上手く使い分けていけばよいと思う。